癒しのメモリー

心のうちを吐き出したり、前向きになった言葉を記録したり、私の癒しの記憶を残していきたいと思っています。

逢沢りくーおとなでもまちがえることはあるの。ゆるしてあげるの

 第19回手塚治虫文化賞の大賞を受賞した作品。

 

以前から読んでみたいなと思っていましたが、上下巻それぞれ1000円という、漫画にしては高値に躊躇していました。

 

今回、文庫化されているのを書店で発見。 迷わず購入しました。

 

逢沢りく 上下巻セット
 

 

機能不全家庭で育った心に問題を抱える主人公、逢沢りく(中学生)が、関西の親戚の家に預けられ、そこでの人々との触れ合いを通して、少しづつ変わっていくお話しです。

 

 

母娘確執の問題を扱った本でもあります。

 

 

本書に出てくる母親の抱える問題は、不倫相手が母親を分析した一言がよく表しています。

 

君はいつも自分を必要としている人を自分に引き寄せて

その後、思いっきり突き放す

そして相手が傷ついているのを見て安心してるだろ

相手の傷が深ければ深いほど、

自分が必要とされてると思ってる

 

主人公が関西の親戚に預けられることになった決定的な出来事は、飼っていたインコを主人公が家族の前で握りつぶして殺そうとしたことにあります。

 

ですが、そのインコ、実は父親の不倫相手が父親に買わせて、嫌がらせで母親に飼育させていたものでした。 

 

その事実を知っていた主人公は、嫌がっているであろう母親を救うためにした行為でしたが、母親は理解できませんでした。

 

主人公の父親と母親は、お互いが不倫をしていることを知っているので、どこかで感づいていたと私は思います。

 

娘の預け先の関西の親戚は、母親が以前から嫌っていたのを主人公は知っています。

母親が関西弁を嫌うのも知っています。

 

それでも「私とあなたのためだから」

 

「戻っておいで」の言葉を待っている娘に対して、娘がいらないと言っている転校先の学校の制服を誕生日プレゼントに送ったり、その行為に娘が傷ついている自覚はありません。

 

 

人前で嘘泣きはできても、一人で本当に泣くことはできない。

本音を言うことができない。

関西弁を使うことを頑なに嫌がる。

動物になぜか嫌われる。

 

 

主人公が抱える心の闇が、分かりやすい形で序盤にちりばめられていて、最後にバーッとそれらが回収されていく瞬間が見事でした。 涙腺がワッと崩壊しました。

 

 

主人公に大きな影響を与えたのが、預けられた先の夫婦の孫にあたる男の子。

 

年少さんくらいの男の子で、重い病気を抱えていますが、本人はそのことをしりません。

 

母親から家に戻ってくるように言われた日が、男の子が生きるか死ぬかの大事な手術を終えたばかりの日。 最初は面会をせずに家に戻ろうと思っていた主人公ですが、「試験があるから」と嘘をついて、戻る日を遅らせます。 なぜ嘘をついたのか主人公は自分でも理解ず戸惑います。

 

手術後に主人公と男の子が電話で交わした言葉の中に、主人公が変わるきっかけとなった一言がありました。

 

お姉ちゃん、あんな司お兄ちゃんとおじいちゃんはまちがえたの

おとなでもまちがえることあるの

 

ゆるしてあげるの

 

母親が間違っていることに気付いた瞬間、そして許すことを男の子に教えられた瞬間でした。

 

 

作者のほしよりこさんは、「今日の猫村さん」の作者さんでもあります。

 

あの独特のタッチは健在で、十分見やすくて分かりやすいのですが、横に三分割のコマの降り方が絵コンテを彷彿とさせて、実写化したら面白そうと、思わずにいられませんでした。

 

主人公は作中で中山美穂さんに例えられるような美少女です。

 

今なら誰かな?

 

人生を<半分>降りるー生きづらさを感じている著者が、同じように生きづらさを感じている人のために書いた本

不思議な本に出会いました。

 

誰に聞いても、買ったのは「僕(私)じゃない」という。 でもなぜか家にある。

 

 

人生を「半分」降りる―哲学的生き方のすすめ (ちくま文庫)

人生を「半分」降りる―哲学的生き方のすすめ (ちくま文庫)

 

 

著者は本書で提案する<半隱遁(はんいんとん)>を自分用と、0.1パーセントくらいの同胞のために考案したといいます。

 

半隱遁に適しているのは次のような人。

 

人生の「虚しさ」を子供のころから実感しており、何をしてもヒューッと風が首筋をなでるように虚しさを感じる。 その虚しさの極限に「死」がある。 しかし、いまだ信仰を持つこともできず、芸術活動や政治活動あるいは「小さな善意の表現」によって生きがいを見つけることもできない。 ひとことで言えば、何をしても納得がゆかず何をしても不満足で何をしてもつまらない。 死にたくもなし、このままダラダラ生きていくことも耐えがたい。

 

正直に言うと、この本、全てを読むことができませんでした。 読んでいて頭に入ってこないのです。 これは私の頭の問題だと思います。

 

 

なので、感想を知りたい人は、ぜひアマゾンレビューを見てください(笑)

 

 

哲学者の言葉を引用しそれを解説しているところが難しくて読めなかったので、それ以外のところはところどころ読みました。

 

 

ちなみに作者さんは東大出身で、国立大学の教授を務めた方です。

 

先日、私の大学で教職員のコンパがありました。 さまざまな学科の壁さらに教官と職員との壁を越えて「親睦」を結ぶための会です。 私は様子をみるために参加しましたが、始めるや否や「来なければよかった」と後悔した。 少し遅れていったのですが、扉をあけるやその場に充満している「暴力的につくりあげられた陽気な雰囲気」に、まず戸惑いを覚えました。 中年や初老の美しいとは言えない男たちが肩をたたきあい、ビールをつぎあって談笑している。 アチコチから高い笑い声があがる。 まさしく、いっさいの陰気なこと真面目なことを吹き飛ばす暴力的な「和」の空気が充満している。

 

ボンヤリと空いたイスに腰掛けビールを飲み枝豆をボソボソ食べながらあたりを見渡していると、「自己紹介をお願いします。 楽しいことだけに限ります。 最近あった楽しいことを言ってください」という司会者の言葉にまたゲッソリ。 だが驚いたことに、一人一人立ち上がる人はごく自然にその雰囲気に溶け込んで、あから顔ニコニコ顔で次々に「楽しい」話を繰り広げるのです。

 

「昨日、一千万円の宝くじに当たった・・・夢をみました」

ワーッ!

「毎日楽しいことばかりですので、選ぶのが難しいのですが、この会に来られたのが一番楽しいことです」

「ゴマするな!」

 

(一部略)

 

何から何まで、どこからどこまで紋切型の受け答えが続くのです。 ですが、子細に観察してゆきますと、そうはしながら、みんなだんだんこの「技巧」にくたびれている気配もある。 ウソが嫌になってくる雰囲気もある。 笑い声がだんだんワザとらしく空疎な響きを帯びてゆきます。

 

ここまで読まれた方の多くは「では、おまえはいったい何を話したのか?」と聞きたいでしょう。 じつは私は、ここ五年来日本中を覆っているスピーカー騒音との戦いを継続中なので、そのたった一人の壮絶な戦いぶりをドスを効かせて披露したのですが、その下品さが意に反してとても受けてーー憎たらしいことにーー笑いの連続、次々に質問が出てたいへん「盛り上がって」しまいました。

 

 

・・・本当に生きづらそう(笑)

 

一見すると捻くれた性格をしている作者さんの私生活でのエピソードが、本書の中で一番面白かったです。

 

半隱遁と言っていながら、著者は金持ちの家の生まれで、東大出身、国立大学の教授。 アマゾンレビューの中にはそういったところで批判の声もありました。

 

でも、金持ちだろうが、エリートだろうが、たぶん、この人はこの人で本気で生きづらいと思っていると思う。

 

みんないっしょ。

 

そういう意味で励まされたので、紹介してみました。

 

 

最後に、もう一つ面白かったところ。

 

ですから、--当然の帰結ですがーー「哲学的生き方」をまかりまちがって選ぶと、あなたはかならず(世間的には)「不幸」になります。 そして、それでいいのです。 まさにこうした不幸を選び取ること、不幸を覚悟し、不幸に徹して生き続けること、これこそ<半隠遁>の醍醐味なのですから。

 

 ・・・敵、多そう(笑)

 

新しい道徳「いいことをすると気持ちいがいい」のはなぜかー道徳を他人まかせにしてはいけない

 

まず、最初にお願いしておきたい。

他人の言ったこと、他人の書いたこと、あるいは他人の考えたことを、そのまんま鵜呑みにする性癖の読者は、ここですぐさま本をパタンと閉じて捨ててしまって頂きたい。

 

 

「はじめに」の冒頭に書かれたこの言葉。

 

最近、心理学系の本を読むことの多い私に、夫が「(本に書かれていることは)この人(作者)の考えの一つに過ぎないんだからね」と、影響を受けやすい私を危惧して言ってくれたことがありました。

 

そんなことがあったので、「はじめに」でわざわざ似たような断りを入れている北野武さんの優しさに触れたような気がして、恩返しの気持ちで買ってみました。

 

 

道徳は社会秩序を守るための規則。

道徳は人間関係を円滑に進めるための技術。

 

そして、時代によって変化するもの。

権力者が変われば、道徳も変わる。

 

教科書で教わった道徳を絶対だと信じるからおかしくなる。

 

道徳を他人まかせにしてはいけない。

 

一読の後に私の中に残った言葉です。

 

鵜呑みにするなと忠告されていたので、学校で教わった道徳が本当に正しいのかどうかとか、そういう細かいところまで、考えないようにしました。 私が考え出すとロクなことがないので(汗)

 

本書の中で一番好きだったところ。

 

大学を辞めて、俺は芸人の世界に飛び込んだ。 それは、俺にとっては、群から飛び出すということで、自殺するにも等しい決断だった。

 

それまでの俺は、いろいろありはしたけれど、結局のところは母親のいうことに従って、自分はこの社会でという群の中で生きていくものだとばかり思っていた。

 

道徳の話に引き寄せて言えば、それまでの俺は母親の道徳観の中で生きていた。

 

大学を辞めることを自分で決めたとき、俺はその母親の道徳観から飛び出したのだ。

 

自殺するにも等しいと書いたけれど、ほんとうにあのときはそれくらいの覚悟が必要だった。 浅草でのたれ死にしてもいいと、本気で思っていた。

 

芸人ならのたれ死にしても格好いいやなんてうそぶいていたけれど、内心はそんな格好いいものではなかった。 ただ、今でも忘れられないのは、そうすると心に決めたとき、見上げた空がほんとうに高くて広かったってことだ。 ああ俺は、こんなに自由だったんだなあって思った。

 

子供はなんだかんだいって、親や学校に教わった道徳観の下で生きている。 大人になるということは、その誰か他の人が作ってくれた道徳の傘の下から出て、自分なりの価値観で生きる決断をするということだと思う。

 

のたれ死にする覚悟をしたくらいだから、成功する保証なんてどこにもない。 いや、成功するなんて思ってもいなかった。死ぬ気で飛び出したら、なんとか生き延びたというだけの話だ。

 

だから、読者も群れから飛び出してみたらいい、とはいわない。

 

 

道徳については他の誰かも書いているかもしれないけど、ここは北野武さんじゃないと書けない話だなと、印象に残りました。

 

最後の一言も、やっぱり優しいなと。

 

死んでもいいと思って生きているわけではない。 でも、そうでも思わないとやっていけない日もある。 そんな日々を繰り返しているうちに、気づいてたら生き延びていたって、私も思いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

イヤシノウターそれは、お父様がご自分を大切になさらなかったからです

 

イヤシノウタ

イヤシノウタ

 

 

タイトルの「イヤシノウタ」に惹かれて手にとりました。

 

著者は吉本ばななさん。

 

吉本ばななさんの作品は、義弟が置いていった本のなかに「キッチン」があり、それを読んで以来の2作目です。

 

冒頭の「私のほっぺ」のエピソードを立ち読み。 忙しい両親に代わって面倒を見てくれた「あっこおばちゃん」の最期を迎えるエピソード。 思わず泣きそうになり、泣いて癒されるのもいいかもしれないと思い、購入を決意しました。

 

 

本が読めなくなっていたつい最近までの私は、気になる本があっても、作者のプロフィールをみて、「一流大学を卒業して、華やかな経歴のある人の話に、私と共感できるものはない」と思い込み、読まずに終わってしまっていました。

 

 

一番ひどい状態のときは、たとえ読んで良い言葉と出会っても、それが自分のダメさ、劣等感を掻き立てる結果になってしまい、とてもまともに読める状態ではなかったのです。

 

 

書店に並ぶ本を書ける人なんて、それなりの経歴のある人ばかり。 どんどん本が読めなくなっていた原因の一つです。 

 

 

吉本ばななさんという超大物作家さんのエッセイは、私とは住む次元の違う人の言葉のまとまりで、共感できないものばかりのはずですが、今までやっていなかったことをして変わろうとしている、私の決意の表れでもあります。

 

シッターさんの話やお金持ちの知り合いの話とか、それは当たり前に私とは違うのだけど、読んだ後は、親しい友人が自分の半生を語っているような、そんな気持ちになりました。

 

私が吉本ばななさんのことが好きだなと思ったエピソードが「誘惑」というタイトルの中にありました。

 

財団とか国連とかエスクァイアとかロスチャイルドとか珍しいことへの誘いに、素直にそっちにいけないという。 派手好きだから、そういうことが嫌いなわけではないのに、そういう誘惑にのると、小説が濁って命取りになるのが、なぜか分かるんだそう。

 

わたしはただ暮らしたいのだ。  洗濯をして、掃除をして、犬や猫の世話をして、子供と手をつないで歩きたいだけだ。 そしてそのくたびれた手で小説を書きたい。

 

派手好きな吉本ばななさんの一面を取り上げたら、たぶん話が合わない。 出かける暇もなく、たまに買い物に行くと散財したという吉本ばななさんの、その買い物の瞬間に立ち会ったら、たぶん好きになれない。

 

でも、吉本ばななさんの生き方へのスタンスはすごく共感できる。

 

人付き合いが苦手な私ですが、 苦手だと思っているあの人もあの人も、実は私と気が合うところがあるのかもしれないし、それは親しくなってみないと分からないのだから、人付き合いも悪くないと思えました。 

 

 

 

他に、吉本ばななさんとお父さんの関係は、共感できる部分が多いのに驚きました。

 

 

「神の声」というタイトルで紹介されていたエピソード。

 

人にばかり尽くし、自分の好きなことは最低限しかできなくて、人の支えになってきた吉本ばななさんの父が、一番嫌いだった病院で管につながれ、痛がりながら死んでいったそうです。

 

ものすごく理不尽に見えることには、答えはなくても、よくよく見れば何かしらの流れがある、私は大人になってからそう思うようになった。 なにかしらの種があり、因果関係がある。 ただ、それが人間の小さい目、短い人生のつじつまの中ではスケール感が違いすぎてあまりはっきりわからないだけなのではないかと。

 

「なんであんなに死に方をしなくちゃならなかったんだろう?」と、その状況に憎しみすら覚えていた吉本ばななさん。

 

イギリスの神聖な丘の上で、男の人でもない女の人でもない声を聞いたという。

 

「それは、お父様がご自分を大切になさらなかったからです」 

 

この声を聞いてから、常に自分を後回しにし、不快な状況にはストイックによく耐え、常に何かと闘っていた父の行いが、そのまま返ってきて、最後に訪れたのだとしたら、父にはその状況を受け止められたのかもしれないし、理解さえしていたのかもしれないと、吉本さんは思うようになったのだそうだ。

 

 

このエピソードを読んだとき、真っ先の思い浮かんだのが母のことでした。

 

 

母も人に尽くすこと、人の支えになることを生きがいに感じているような人で、「年をとったら、近所のおばあちゃんたちと、縁側でお茶を飲みながら、一日中世間話でもしたい」とよく言っていました。

 

 

離婚して、家を離れ、新たな地で息子と暮らしている母。 近くの老人ホームに同郷のおばあちゃんがいることが分かり、たまに行ってお話をして帰ってきているようです。

 

 

そのことを時折思い出しでは、吉本ばななさんのような憎しみではないけど、憤りと無力感を感じていました。

 

 

でも、「母が自分を大切にしてこなかったから」、それは理不尽でもなく当然と言えば当然のことなのかもしれない。 場所や環境が変わった今も老人ホームを訪れておばあちゃんの話相手になっている母は、自分を大切にすることより人に尽くすことが好きなんだろう。

 

本当に神の声だったのかもしれませんが、吉本ばななさんが長いこと思い悩み、考え続けた結果、無意識のうちに出た答えだったのではないかなと思います。 

 

先人の知恵を借りるとはこういうことかと、思い出しました。

 

 プロフィールや経歴で人を判断することほど無駄なことはない と、今になって悔やみます。

 

 

本を読むということについて、ある意味リハビリ状態にある私にとって、幸運にも本書は最善だったと思います。

 

一話一話短いエピソードが続くので、飽きずに読めました。 

 

最初から最後までマイナスな思考に囚われることもありませんでした。

 

読みながら、「本を読める自分になってる」と嬉しくなりました。 

 

タイトルに「イヤシノウタ」とあるのだから、私には想像も出来ないような労力と工夫で、本書は構成されているのだと思います。

 

ちゃんと癒されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

」 

美しい暮らしの手帖ー生きていくのが命がけの明け暮れが続いています。

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以前の記事、何で頑なにこんなに自分を苦しめる必要があったのだろう - 癒しのメモリーに軽く書きましたが、精密検査を受けに病院へ行ってきました。

 

思っていたより待ち時間が長くなってしまったので、売店で一冊の雑誌を購入しました。 

 

暮しの手帖 4世紀83号

暮しの手帖 4世紀83号

 

 

特別付録についていた「『美しい暮らしの手帖』創刊号よりぬき復刻版」に惹かれました。

 

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表紙もそうですが、中身のイラストも、70年前とは思えないくらい可愛い。

 

 

連続テレビ小説とと姉ちゃん』見てますか?

 

私は残念ながら見ていません。 

 

とと姉ちゃん』に登場する雑誌『あなたの暮し』のモチーフになったのが、本書なのだそうです。

 

 

 読んでませんが、こんな本もありました。

 

 

本書の創刊当時の日本は、4軒に1軒の世帯に家がなく、他人の家に間借りしているような有様で、粗末な下着すら配給でしか手に入らず、暮らしに必要なものが圧倒的に足りなかったそうです。

 

 

”だからといって暮らすのをやめるわけにはいかない。 ないのなら、自分たちで作ろう。”

 

 

 

女の人でも作れるリンゴ箱の椅子だったり、ある夫妻とその妹が3人で暮らす6畳の物置を果物箱で楽しく暮らせる部屋に変える提案をしたり、焼け残った着物を洋服に変える方法を紹介したり・・・。

 

 

逞しいな、と思いました。

 

 

「母と妹を養うために事業を起こしたい、女性のための雑誌が作りたい」と本書を作った大橋鎭子さん。 

 

 

付録についていた創刊号のあとがきの一節。

 

 

”はげしい風のふく日に、

その風のふく方へ、

一心に息をつめて歩いてゆくような、

お互いに、生きてゆくのが命がけの明け暮れがつづいています。

せめて、この月日にちいさな、かすかな灯をともすことが出来たら・・・

この本を作っていて、考えるのはそのことでございました。”

 

 

創刊当時、どんな本が出来るかもわからないのに、気持ちを買って、原稿を下さる先生方もいたそうです。

 

こういう人だから、応援したくなる気持ち、わかります。

 

 

時代は違いますが、"生きていくのが命がけ"なのは、同じですよね。

 

 

誰かの役に立てばいい、そういう風に日々過ごせれば素敵だろうな。 

 

 

 

 

 

 

「なるほど!」とわかる マンガはじめての自分の心理学ー妖怪ジドーシコーの罠

”ささいなことでイライラする”

 

”怒りを抑えることができない”

 

”悪いほうへと考えてしまう”

 

目を引く言葉のオンパレードに思わず読んでみた本書。

 

 

「なるほど!」とわかる マンガはじめての自分の心理学

「なるほど!」とわかる マンガはじめての自分の心理学

 

 

心理学を利用して自分を知るヒントが漫画付きで解説されています。

 

難しい心理学の用語も分かりやすい解説付きで使われているので、抵抗なく読むことができました。

 

 

自分の気になるページを読んでいて、目についたのが「自動思考」という言葉。

 

 

”自動思考・・・ある状況になると自然に浮かんでくる考え。 過去の失敗や恥ずかしいと結びつくと、気分が落ち込む原因となる。”

 

 

 誰でも経験ありますよね。

 

 

この用語が使われていた、「美しくないと幸せになれない?」の項目で紹介されていた自動思考のパターンの一例。

 

美しくない

人に好かれない

合コンもうまくいかなかった

幸せな恋愛や結婚はできない

何もかもうまくできない

自分はダメな人間だ

 

まるで私(笑)

 

 

「悪いほうへと考えてしまう」の項目でも、悲観的な思考は連鎖して起こりやすいと解説されていました。

 

 

自動思考の連鎖を断ち切るためには、起こっていることを冷静に考えてみること、 が大切だそうです。

 

多くのことは自分の思い込みに過ぎないので。

 

嫌なことがあったり不安が強くなったりしたら、「私はできる」「絶対うまくいく」など、ポジティブな言葉を口に出す習慣をつけると言いそうです。

 

これだけでも悲観的な思考にストップをかけることができるそうですよ。

 

 

 

本書を読んだことによって、私が不安になったり、ストレスを感じたりしたときに、起こっていることの現象の多くが「自動思考」というものであることが分かりました。 

 

 

 

この「自動思考」という考え方に、まだ不慣れで、冷静になることやポジティブな発言をすることを忘れがちです。 実際、本書を読んだ後も「自動思考」の罠に陥ったことがありました。

 

 

ということで、とりあえず、私の中で「自動思考」を定着させるために、不安になった瞬間に、

 

「出た! ジドーシコーwww」

 

と脳内で言ってみることにします。

 

私に絵心があったら、妖怪「ジドーシコー」を書いてみるのだけれど。

 

これが上手くいったら、心理学会に一石を投じることになるかも!?

 

 

 

 

 

 

 

 

何で頑なにこんなに自分を苦しめる必要があったのだろう

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小林麻央さんのアメーバブログの中の一言です。

 

乳がんを公表されて、現在闘病中の小林麻央さん。ブログを始めたことがニュースにもなっていました。

 

私はこのブログの他にアメブロもやっているので、小林麻央さんの夫の市川海老蔵さんのブログは、時折拝見していました。

 

 

凄く人気のあるブロガーさんの1人で、子供達が可愛いこと、可愛いこと。

 

 

小林麻央さんがブログを始められたのは、市川海老蔵さんのブログで知りました。

 

 

小林麻央さんのことも、病気のことも、あまり詳しく知りませんでしたが、苦しみを自分への罰だと考えてしまっていたというところにすごく共感しました。

 

 

実は私の子供は難病を抱えていて、患者数も少ないので、同じ病気を持つ人やその周りの人と情報共有がしたくて、アメブロを始めました。

 

 

病気のことについては、このブログでは深く触れる予定はないので、ざっくりとした情報ですいません。

 

 

わかる人には分かるかもしれませんが、その病気が難病と云われる所以は、根本的な治療法が確立されていないことにあります。そして、ほとんどが遺伝で病気を発症します。

 

 

子供の病気が分かった時、それは産まれた後でした。私にも夫にも自覚はなし。全く寝耳に水の話。

 

 

病気のことを調べていくうちに、患者さんの声を紹介している本に出会いました。

 

その中で、この病気は家族の問題だから、みんなで一緒に頑張ろうみたいに書いている文があって…。

 

 

一族に延々と受け継がれている遺伝子情報。その1つが我が子に表面化して現れたのは、私のこれまでの行いが悪かったから、その罰なのではないかと思いました。

 

 

私かもしれないし、夫かもしれないし、それはわかりません。

 

なのに、私は、今までの自分を振り返って、私があの時あんなことをしたからじゃないか、と思い悩みました。

 

 

父親とはほぼ縁切り状態。墓参りもここ数年まともに言っていません。

 

前職では、人間関係のトラブルもありました。

 

 

あの人やあの人の恨みや悲しみが、娘に病気にをもたらしてしまったんではないかと。

 

 

麻央さんはこうも言っていました。

 

 

あれほど苦しんだ痛みは忘れたけど、痛みから解放されていく瞬間は、きっと一生わすれないと。

 

 

あれほど思い悩みましたが、日々成長する子供が、幸せな瞬間をたくさんくれます。

 

 

今では、子供が病気になったのは遺伝子のせいなんだから仕方がない。病気があってもこんなに幸せに、楽しく笑って過ごせているのは、これまでの私の行いが良かったからだ、とすら思っています。

 

 

別の記事では、魔女の宅急便の主題歌の一節も紹介されていました。

 

 

"小さい頃は神様がいて

不思議に夢を叶えてくれた

優しい気持ちで目覚めた朝は

おとなになっても奇蹟はおこるよ"

 

 

子供の頃、魔法騎士レイアースというアニメで「信じる心が力になる!」というセリフがあって、ずっと本気でそれを信じていたのを思い出しました。

 

 

その言葉が信じられるくらい、自分が思ったことは叶っていたんですね。そしてたぶん、それは周りの協力もありました。

 

 

ネガティヴな感情の時はネガティヴなことが起こりやすくて、ポジティブな時はポジティブなことが起こりやすい。それは実感としてあります。

 

 

思う力はあると思います。そしてその思う力が強ければ奇蹟も起こるんじゃないかと。

 

 

小林麻央さんの影響で、持病の改善が見られないので、精密検査を受けに、病院に来ています。

 

 

自分を許さないことほど悲しいことはないですね。大切なことを教えて頂いて、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私がアメブロを始めた理由は、私の子供の病気にあります。

 

 

産まれてから難病を患っていることが分かりました。幸い、命に別状のない病状ですが、根本的な治療法がない病気です。

 

 

患者数も多くないため、同じ病気を持つ人や、その親御さんと情報共有がしたくて、ブログを始めました。

 

 

その病気は、ほとんどの人が遺伝で発症します。私も夫も自覚はありませんでした。

 

 

その病気に関する本の中で、患者さんたちの声が紹介されていました。その1つに、