人生を<半分>降りるー生きづらさを感じている著者が、同じように生きづらさを感じている人のために書いた本
不思議な本に出会いました。
誰に聞いても、買ったのは「僕(私)じゃない」という。 でもなぜか家にある。
著者は本書で提案する<半隱遁(はんいんとん)>を自分用と、0.1パーセントくらいの同胞のために考案したといいます。
半隱遁に適しているのは次のような人。
人生の「虚しさ」を子供のころから実感しており、何をしてもヒューッと風が首筋をなでるように虚しさを感じる。 その虚しさの極限に「死」がある。 しかし、いまだ信仰を持つこともできず、芸術活動や政治活動あるいは「小さな善意の表現」によって生きがいを見つけることもできない。 ひとことで言えば、何をしても納得がゆかず何をしても不満足で何をしてもつまらない。 死にたくもなし、このままダラダラ生きていくことも耐えがたい。
正直に言うと、この本、全てを読むことができませんでした。 読んでいて頭に入ってこないのです。 これは私の頭の問題だと思います。
なので、感想を知りたい人は、ぜひアマゾンレビューを見てください(笑)
哲学者の言葉を引用しそれを解説しているところが難しくて読めなかったので、それ以外のところはところどころ読みました。
ちなみに作者さんは東大出身で、国立大学の教授を務めた方です。
先日、私の大学で教職員のコンパがありました。 さまざまな学科の壁さらに教官と職員との壁を越えて「親睦」を結ぶための会です。 私は様子をみるために参加しましたが、始めるや否や「来なければよかった」と後悔した。 少し遅れていったのですが、扉をあけるやその場に充満している「暴力的につくりあげられた陽気な雰囲気」に、まず戸惑いを覚えました。 中年や初老の美しいとは言えない男たちが肩をたたきあい、ビールをつぎあって談笑している。 アチコチから高い笑い声があがる。 まさしく、いっさいの陰気なこと真面目なことを吹き飛ばす暴力的な「和」の空気が充満している。
ボンヤリと空いたイスに腰掛けビールを飲み枝豆をボソボソ食べながらあたりを見渡していると、「自己紹介をお願いします。 楽しいことだけに限ります。 最近あった楽しいことを言ってください」という司会者の言葉にまたゲッソリ。 だが驚いたことに、一人一人立ち上がる人はごく自然にその雰囲気に溶け込んで、あから顔ニコニコ顔で次々に「楽しい」話を繰り広げるのです。
「昨日、一千万円の宝くじに当たった・・・夢をみました」
ワーッ!
「毎日楽しいことばかりですので、選ぶのが難しいのですが、この会に来られたのが一番楽しいことです」
「ゴマするな!」
(一部略)
何から何まで、どこからどこまで紋切型の受け答えが続くのです。 ですが、子細に観察してゆきますと、そうはしながら、みんなだんだんこの「技巧」にくたびれている気配もある。 ウソが嫌になってくる雰囲気もある。 笑い声がだんだんワザとらしく空疎な響きを帯びてゆきます。
ここまで読まれた方の多くは「では、おまえはいったい何を話したのか?」と聞きたいでしょう。 じつは私は、ここ五年来日本中を覆っているスピーカー騒音との戦いを継続中なので、そのたった一人の壮絶な戦いぶりをドスを効かせて披露したのですが、その下品さが意に反してとても受けてーー憎たらしいことにーー笑いの連続、次々に質問が出てたいへん「盛り上がって」しまいました。
・・・本当に生きづらそう(笑)
一見すると捻くれた性格をしている作者さんの私生活でのエピソードが、本書の中で一番面白かったです。
半隱遁と言っていながら、著者は金持ちの家の生まれで、東大出身、国立大学の教授。 アマゾンレビューの中にはそういったところで批判の声もありました。
でも、金持ちだろうが、エリートだろうが、たぶん、この人はこの人で本気で生きづらいと思っていると思う。
みんないっしょ。
そういう意味で励まされたので、紹介してみました。
最後に、もう一つ面白かったところ。
ですから、--当然の帰結ですがーー「哲学的生き方」をまかりまちがって選ぶと、あなたはかならず(世間的には)「不幸」になります。 そして、それでいいのです。 まさにこうした不幸を選び取ること、不幸を覚悟し、不幸に徹して生き続けること、これこそ<半隠遁>の醍醐味なのですから。
・・・敵、多そう(笑)