正論で争いを仕掛けてくる 相手の言葉なんて 真に受けるな!ー相手の「正論」よりも、自分の「感じ方」のほうが、はるかに正しい
"人の言葉を信じるよりも、「自分を信じろ!」
相手の正論よりも、自分の「感じ方」の方が、はるかに正しい。
絶対に「私を傷つけない」という視点を持って生きる。
争いになる前に「降りる」と、どんどん願望が叶っていく。
争わないと決めれば、順風満帆の人生をになる。"
カバーの内側に書かれていたこれらの言葉に惹かれて、読んでみました。
「正論で争いを仕掛けてくる
相手の言葉なんて真に受けるな」
石原加受子 著
ぱる出版
人と争いになるとき、そこにある背景や、心の動き、その争いを降りることの勧めが、具体的な例を用いながら解説されています。
争いを降りる方法(言葉)の具体例も数パターン示されていたので、こう言えば角が立たなかったのかな〜とか、色々と思うことがありました。
私の場合、争いになる前に傷ついて勝手に終わるパターンがほとんどですが、争いから降りる必要があったら、自分だったらコレにしよう、と思うものもあり。
タイトルからだと、「争う」ことを前提に書かれている本のように思えますが、「争わない」ための考え方についての話も多くありました。
自分の気持ちに沿うこと、自分を大事にすることが、結局相手にとってもいいことなんだというのが、読後の私の感想です。
目次タイトルの一つ。
”相手の言葉に敏感に傷つき、自分の言葉使いに悩む人が増えている”
まさに私だなと思いました。
”相手の言葉に囚われている人は、相手に対しても、どんな話し方をすればいいか気にしていて、気にするあまり喋れなくなる。”
はい、わたし。
続いて、こんなことが書かれていました。
"相手の言葉に焦点を当てるか、善意に焦点を当てるかで、全く正反対の気持ちや感情が生じる"
紹介されていた例では、買い物をして、買った商品をお店に忘れてしまった著者に、威勢のいい店主が駆け寄ってきて「ほら、忘れてるよ。どこ見てるんだろうねまったく、目の前にあったのに」と言いながら、商品を渡してきたそうです。
乱暴な言い方に焦点を当てれば不愉快な感情が残る。
忘れた商品を届けてくれた行動に焦点を当てれば、感謝して心地いい気持ちになる。
全く同じではありませんが、同じようなことを夫によく言われます。
わたしが「誰々にこんなこと言われたんだ」と落ち込んでいると、「でも○○してくれたんでしょ?」と。
わたしに必要なのは、言葉ではなく、その人の行動(善意)に焦点を当てることだと、再確認させられました。
この本を読んだ後に、目の充血で眼科にかかりました。はやり目の可能性があるということで、待合室ではない別部屋に通されて検査を受けました。結果、はやり目ではありませんでしたが、症状が治まらなければその可能性も捨てきれないとの診断。
会計後、看護師さんが「帰りはエレベーターを使わずに階段使っていただけますか?」と声をかけてきました。
一瞬わたしは、感染症の可能性があるのにエレベータで来院した非常識な人間として責められたような気がしてモヤモヤしました。 今思うと、自分でもちょっと異常なくらい、心が狭いです。
この看護師さんの行動を私に向けられた善意だと捉えると、「私が不本意に感染源になることを防いでくれた」と考えることができます。
「善意」という言葉に囚われると少し無理やりな感じがしますが、冒頭で紹介した”絶対に「私を傷つけない」という視点”に切り替えてみると、どんなに小さな可能性でも感染の可能性を防ごうと努めることは、利用者全員にとってメリットしかありません。私個人とってもこの病院が信頼できる病院だと知れたことは、有意義なことです。
本書の最後には、こんな言葉が綴られています。
”自分の中でネガティヴな感情が起こりそうだと気づいたときに、それをシグナルとしてうけとり、「その会話(争い)をやめる」ということを、自分の人生の公式とできたら、すばらしい人生となっていくでしょう。”
まさにネガティヴな思考を切り替える瞬間でした。
自分を大事にする、自分の感情に素直になる。
それが中々難しいと思っていましたが、ネガティブな感情をポジティブな感情に切り替えることは、ネガティブになり苦しむ自分から、自分自身を守る行為、自分を大事にする行為だと気づくことができました。
自分が自分を大事にした瞬間。そしてその幸せな感覚。当たり前のことを思い出した瞬間です。
相手の言葉に傷つくことが無くなってくれば、自分の言葉で相手が傷つくかもしれないと気にすることも減ってくるはずです。そうすれば、自分の考えを自分の言葉で伝えることに、躊躇いも無くなるハズ。
自分の感情に素直になることも出来ます。
自分の人生をポジティブに作用させる、貴重な一歩を踏み出せたようです。