母親の記憶
※今回の記事は私の心の内を吐露するものです。 暗い話もありますので、苦手な方は注意してください。
母親のことが大好きだった。
保育士の資格を持つ母は、子どもが大好き。 お年寄りや弱者に優しい、社交性のある人だった。
一番年の近い兄弟が病気がちだったから、小さい頃から一緒に病院へ行っていた思い出がある。
私がしっかりしなければ、という思いが強かった。 兄より出来なければ、という思いも強くて、勉強も頑張ったと思う。
小学生の頃、学校に行けなくなった。 いじめがあったとかではなく、年の離れた兄弟が家を出ることになった寂しさや、クラスの友達が転校することになったりで、不安になったんだと思う。
私は2、3日の記憶だったが、数ヶ月は午前中で早退するような生活だったらしい。
その辺りの記憶は曖昧だ。 人間よくできているなと思う。
母のことを考えると、いつもこの年の近い兄弟の存在が付いて回る。 病気だからしょうがないと自分に言い聞かせているが、子供ながらに気を使っていたのはしっかり覚えている。
私に子どもが産まれてすぐ、その兄弟のところにも子供が産まれた。
年の離れた兄が私に、「贔屓されて大変だね」というようなことを何の気なしに言った。
その時に初めて、周りからみてもやっぱり贔屓だったのか、とショックを覚えた。
違う、病気だからしょうがないと言い聞かせて、保っていた私の平静のダムが一気に崩壊した。
そこから、少しずつ母と距離を置くようになった。 もともと遠方に住んでいるので、頻繁に会ったりはしていなかったが、心の中で、母を頼らなくなった。
今では母に連絡するのは、子供のおばあちゃんとしてだけだ。
夫には、母親が嫌いだと言っている。
悪い人では無いと思う。 弱者に対しては心底優しいんだろう。 でも弱者じゃ無い人には?
会社が倒産する時、資金集めに私の大学の授業料が当てられそうになったことがあったと、酷い父親だとでもいいたいように母から聞いたことがあった。
離婚後、兄弟と生活をするようになった母親は貯金はあるから大丈夫という。
私達の生活のために働いていた父親が、お金に困って、授業料をそれに当てようとした。 専業主婦だった母には貯金が沢山あった。 その貯金は働いた父から得たものではなかった?
久しぶりに遠方から帰省した私の前で、別の孫にお小遣いを渡す母。
私の子供にはなかった。
一度メッキが剥がれると、あれもあれもと出てくる不思議…。
兄弟曰く、母も病気。
年をとれば誰でもありそうなこと。母が特別じゃ無いと思う。
が、イライラと贔屓だけは、わたしは子供にはしないと誓う。
母が嫌いだ。