癒しのメモリー

心のうちを吐き出したり、前向きになった言葉を記録したり、私の癒しの記憶を残していきたいと思っています。

イヤシノウターそれは、お父様がご自分を大切になさらなかったからです

 

イヤシノウタ

イヤシノウタ

 

 

タイトルの「イヤシノウタ」に惹かれて手にとりました。

 

著者は吉本ばななさん。

 

吉本ばななさんの作品は、義弟が置いていった本のなかに「キッチン」があり、それを読んで以来の2作目です。

 

冒頭の「私のほっぺ」のエピソードを立ち読み。 忙しい両親に代わって面倒を見てくれた「あっこおばちゃん」の最期を迎えるエピソード。 思わず泣きそうになり、泣いて癒されるのもいいかもしれないと思い、購入を決意しました。

 

 

本が読めなくなっていたつい最近までの私は、気になる本があっても、作者のプロフィールをみて、「一流大学を卒業して、華やかな経歴のある人の話に、私と共感できるものはない」と思い込み、読まずに終わってしまっていました。

 

 

一番ひどい状態のときは、たとえ読んで良い言葉と出会っても、それが自分のダメさ、劣等感を掻き立てる結果になってしまい、とてもまともに読める状態ではなかったのです。

 

 

書店に並ぶ本を書ける人なんて、それなりの経歴のある人ばかり。 どんどん本が読めなくなっていた原因の一つです。 

 

 

吉本ばななさんという超大物作家さんのエッセイは、私とは住む次元の違う人の言葉のまとまりで、共感できないものばかりのはずですが、今までやっていなかったことをして変わろうとしている、私の決意の表れでもあります。

 

シッターさんの話やお金持ちの知り合いの話とか、それは当たり前に私とは違うのだけど、読んだ後は、親しい友人が自分の半生を語っているような、そんな気持ちになりました。

 

私が吉本ばななさんのことが好きだなと思ったエピソードが「誘惑」というタイトルの中にありました。

 

財団とか国連とかエスクァイアとかロスチャイルドとか珍しいことへの誘いに、素直にそっちにいけないという。 派手好きだから、そういうことが嫌いなわけではないのに、そういう誘惑にのると、小説が濁って命取りになるのが、なぜか分かるんだそう。

 

わたしはただ暮らしたいのだ。  洗濯をして、掃除をして、犬や猫の世話をして、子供と手をつないで歩きたいだけだ。 そしてそのくたびれた手で小説を書きたい。

 

派手好きな吉本ばななさんの一面を取り上げたら、たぶん話が合わない。 出かける暇もなく、たまに買い物に行くと散財したという吉本ばななさんの、その買い物の瞬間に立ち会ったら、たぶん好きになれない。

 

でも、吉本ばななさんの生き方へのスタンスはすごく共感できる。

 

人付き合いが苦手な私ですが、 苦手だと思っているあの人もあの人も、実は私と気が合うところがあるのかもしれないし、それは親しくなってみないと分からないのだから、人付き合いも悪くないと思えました。 

 

 

 

他に、吉本ばななさんとお父さんの関係は、共感できる部分が多いのに驚きました。

 

 

「神の声」というタイトルで紹介されていたエピソード。

 

人にばかり尽くし、自分の好きなことは最低限しかできなくて、人の支えになってきた吉本ばななさんの父が、一番嫌いだった病院で管につながれ、痛がりながら死んでいったそうです。

 

ものすごく理不尽に見えることには、答えはなくても、よくよく見れば何かしらの流れがある、私は大人になってからそう思うようになった。 なにかしらの種があり、因果関係がある。 ただ、それが人間の小さい目、短い人生のつじつまの中ではスケール感が違いすぎてあまりはっきりわからないだけなのではないかと。

 

「なんであんなに死に方をしなくちゃならなかったんだろう?」と、その状況に憎しみすら覚えていた吉本ばななさん。

 

イギリスの神聖な丘の上で、男の人でもない女の人でもない声を聞いたという。

 

「それは、お父様がご自分を大切になさらなかったからです」 

 

この声を聞いてから、常に自分を後回しにし、不快な状況にはストイックによく耐え、常に何かと闘っていた父の行いが、そのまま返ってきて、最後に訪れたのだとしたら、父にはその状況を受け止められたのかもしれないし、理解さえしていたのかもしれないと、吉本さんは思うようになったのだそうだ。

 

 

このエピソードを読んだとき、真っ先の思い浮かんだのが母のことでした。

 

 

母も人に尽くすこと、人の支えになることを生きがいに感じているような人で、「年をとったら、近所のおばあちゃんたちと、縁側でお茶を飲みながら、一日中世間話でもしたい」とよく言っていました。

 

 

離婚して、家を離れ、新たな地で息子と暮らしている母。 近くの老人ホームに同郷のおばあちゃんがいることが分かり、たまに行ってお話をして帰ってきているようです。

 

 

そのことを時折思い出しでは、吉本ばななさんのような憎しみではないけど、憤りと無力感を感じていました。

 

 

でも、「母が自分を大切にしてこなかったから」、それは理不尽でもなく当然と言えば当然のことなのかもしれない。 場所や環境が変わった今も老人ホームを訪れておばあちゃんの話相手になっている母は、自分を大切にすることより人に尽くすことが好きなんだろう。

 

本当に神の声だったのかもしれませんが、吉本ばななさんが長いこと思い悩み、考え続けた結果、無意識のうちに出た答えだったのではないかなと思います。 

 

先人の知恵を借りるとはこういうことかと、思い出しました。

 

 プロフィールや経歴で人を判断することほど無駄なことはない と、今になって悔やみます。

 

 

本を読むということについて、ある意味リハビリ状態にある私にとって、幸運にも本書は最善だったと思います。

 

一話一話短いエピソードが続くので、飽きずに読めました。 

 

最初から最後までマイナスな思考に囚われることもありませんでした。

 

読みながら、「本を読める自分になってる」と嬉しくなりました。 

 

タイトルに「イヤシノウタ」とあるのだから、私には想像も出来ないような労力と工夫で、本書は構成されているのだと思います。

 

ちゃんと癒されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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