不登校の子を持つ親へ
※今回の記事は私の心の内を吐露するものです。 暗い話もありますので、苦手な方は注意してください。
私は小学生のころ、一時期、不登校になったことがありました。
原因は、親の愛情不足や、仲のよかった兄弟が進学のために家を出ることになったこと、クラスメイトの転校などが重なり、今までの寂しさが爆発したんだと思います。
そのころの記憶は曖昧ですが、ずっと覚えていることがあります。
それは、母親が私を抱きしめて「ごめんね」と言ったときの情景と、午前で早退する日々を送っていたときに、学校からの帰り道、母がお昼ご飯に何を食べたいか聞いてきて、私が食べたいと言ったものを用意してくれたこと。 その食材がなかったときでも、お店に行って買って用意してくれました。 今ほどスーパーが充実していない時代と地域でしたから、本当にわざわざ私のために、行ってくれていました。
これまでの人生のなかで、自分のことを諦め切らずにこれなのは、この思い出があったからといっても過言ではありません。
人間関係で悩むことは多いし、トラブルもあります。 でも苦手なりに、人を好きになり、人に期待し、人がしてくれたことに感謝することができています。
あのとき、母は自分の間違いを認め、そんな親の間違いを私も認めることが出来ました。
親=社会です。
社会の間違いを認めることは、人や自分の間違いを認めること。
だから、私は、失敗から立ち直ることができています。
もし自分の子どもが、不登校だったり、心を閉ざしてしまったりしていたら、一度でいいので、抱きしめて謝って欲しい。
そのとき子どもは何も反応しないかもしれない。 私もそうだったと思います。 でも実際はちゃんと伝わっています。
それが今になって、親だって間違うこともあるし、それをちゃんと許すことができたという自信になっています。
あとはわがままを聞いてほしい。わがままを言えない状態だったら、私のように食べたいものを聞くとかでも何でもいい。 これは今までの寂しさを埋めている作業だから、数ヶ月なり半年なり満足するまで続けて欲しい。
私はあの日、毎日のように食べていた食材を、今でも食べるたびに、あの日食べたもの以上に美味しいものはないと、甘美な思い出のように振り返ることができています。
不登校児童への対応に関する書籍はたくさんあると思います。 実際、家にもそういう本がたくさんあったので、母親もそういう本から知識を得ていたはずです。
実体験として、それらは本当に大切なことだから、不登校児童を持つ親後さんにはぜひお願いしたい。
不登校も含め、数十年さきに、あの体験があって良かったと思えるようになりますから。