返事を書かない忙しさは恥ずかしいー永六輔さんの父の教え
たまたま聴いていたラジオが、先日お亡くなりになった永六輔さんに因んだ番組をしていました。
その中で、永六輔さんが父親から言われたというこの言葉に感銘を受けました。
"返事を書かない忙しさは恥ずかしい"
永六輔さんは父親のこの教えを守り、人気者になった後も、ラジオに送られてきた手紙の一通一通にまで、お返事を書かれていたそうです。
私は永六輔の全盛期を、残念ながら知りません。
たまにラジオで声を聴いたり、他の方が永六輔さんとのエピソードを話すのを聞くくらい。
周りの人たちに慕われている人だと、その時の雰囲気から感じてはいましたが、お亡くなりになった後、お別れ会に1000人以上の方が参列したという話を聞いて、すごい人だったんだなと思うと同時に、そのことに生前に気づかなかったことを悔やみました。
私は基本的に、メールでも手紙でも、もらったものには返事を書きます。
その理由は、嫌われたくないから、です。
なので、自分のことを嫌っているのではと思う人、嫌なことをされたと思い込んでいる人に対して、「嫌っているならこっちだって」という気持ちがよぎり、返事を躊躇ってしまうことがあります。
実際は、それでも嫌われたくない、という気持ちが勝るので返事をするのですが、負けたような、本当に良かったのかという気持ちが残り、モヤモヤしてしまいます。
ラジオでこの言葉を聞いた時、理由はどうであれ、人として恥ずかしい行為をしてこなかった自分を褒めたくなりました。
そして、私がこれから持つべき信念はこれだと。
嫌われたくないから、ではない。
人として恥ずかしい、から。
自分が返事をもらえない立場になったとしても、返事を出さない相手が人として恥ずかしいだけ。
返事を貰えるかどうか=自分が嫌われていないかどうか、危惧する必要はない。
返事をしないほうが人として恥ずかしい人間。それだけです。
まだ読んだことはありませんが、本書の中で、手紙には必ず返事を書くようにという父親の教えについて書かれてページがあるようです。
読めば永六輔さんのお父さんの言葉の本当の意味を知ることができるような気もします。
願わくば、私も永六輔さんのように、少しでも人に慕われる人生を送りたい。
永六輔さん、心よりお悔やみ申しあげます。
正論で争いを仕掛けてくる 相手の言葉なんて 真に受けるな!ー相手の「正論」よりも、自分の「感じ方」のほうが、はるかに正しい
"人の言葉を信じるよりも、「自分を信じろ!」
相手の正論よりも、自分の「感じ方」の方が、はるかに正しい。
絶対に「私を傷つけない」という視点を持って生きる。
争いになる前に「降りる」と、どんどん願望が叶っていく。
争わないと決めれば、順風満帆の人生をになる。"
カバーの内側に書かれていたこれらの言葉に惹かれて、読んでみました。
「正論で争いを仕掛けてくる
相手の言葉なんて真に受けるな」
石原加受子 著
ぱる出版
人と争いになるとき、そこにある背景や、心の動き、その争いを降りることの勧めが、具体的な例を用いながら解説されています。
争いを降りる方法(言葉)の具体例も数パターン示されていたので、こう言えば角が立たなかったのかな〜とか、色々と思うことがありました。
私の場合、争いになる前に傷ついて勝手に終わるパターンがほとんどですが、争いから降りる必要があったら、自分だったらコレにしよう、と思うものもあり。
タイトルからだと、「争う」ことを前提に書かれている本のように思えますが、「争わない」ための考え方についての話も多くありました。
自分の気持ちに沿うこと、自分を大事にすることが、結局相手にとってもいいことなんだというのが、読後の私の感想です。
目次タイトルの一つ。
”相手の言葉に敏感に傷つき、自分の言葉使いに悩む人が増えている”
まさに私だなと思いました。
”相手の言葉に囚われている人は、相手に対しても、どんな話し方をすればいいか気にしていて、気にするあまり喋れなくなる。”
はい、わたし。
続いて、こんなことが書かれていました。
"相手の言葉に焦点を当てるか、善意に焦点を当てるかで、全く正反対の気持ちや感情が生じる"
紹介されていた例では、買い物をして、買った商品をお店に忘れてしまった著者に、威勢のいい店主が駆け寄ってきて「ほら、忘れてるよ。どこ見てるんだろうねまったく、目の前にあったのに」と言いながら、商品を渡してきたそうです。
乱暴な言い方に焦点を当てれば不愉快な感情が残る。
忘れた商品を届けてくれた行動に焦点を当てれば、感謝して心地いい気持ちになる。
全く同じではありませんが、同じようなことを夫によく言われます。
わたしが「誰々にこんなこと言われたんだ」と落ち込んでいると、「でも○○してくれたんでしょ?」と。
わたしに必要なのは、言葉ではなく、その人の行動(善意)に焦点を当てることだと、再確認させられました。
この本を読んだ後に、目の充血で眼科にかかりました。はやり目の可能性があるということで、待合室ではない別部屋に通されて検査を受けました。結果、はやり目ではありませんでしたが、症状が治まらなければその可能性も捨てきれないとの診断。
会計後、看護師さんが「帰りはエレベーターを使わずに階段使っていただけますか?」と声をかけてきました。
一瞬わたしは、感染症の可能性があるのにエレベータで来院した非常識な人間として責められたような気がしてモヤモヤしました。 今思うと、自分でもちょっと異常なくらい、心が狭いです。
この看護師さんの行動を私に向けられた善意だと捉えると、「私が不本意に感染源になることを防いでくれた」と考えることができます。
「善意」という言葉に囚われると少し無理やりな感じがしますが、冒頭で紹介した”絶対に「私を傷つけない」という視点”に切り替えてみると、どんなに小さな可能性でも感染の可能性を防ごうと努めることは、利用者全員にとってメリットしかありません。私個人とってもこの病院が信頼できる病院だと知れたことは、有意義なことです。
本書の最後には、こんな言葉が綴られています。
”自分の中でネガティヴな感情が起こりそうだと気づいたときに、それをシグナルとしてうけとり、「その会話(争い)をやめる」ということを、自分の人生の公式とできたら、すばらしい人生となっていくでしょう。”
まさにネガティヴな思考を切り替える瞬間でした。
自分を大事にする、自分の感情に素直になる。
それが中々難しいと思っていましたが、ネガティブな感情をポジティブな感情に切り替えることは、ネガティブになり苦しむ自分から、自分自身を守る行為、自分を大事にする行為だと気づくことができました。
自分が自分を大事にした瞬間。そしてその幸せな感覚。当たり前のことを思い出した瞬間です。
相手の言葉に傷つくことが無くなってくれば、自分の言葉で相手が傷つくかもしれないと気にすることも減ってくるはずです。そうすれば、自分の考えを自分の言葉で伝えることに、躊躇いも無くなるハズ。
自分の感情に素直になることも出来ます。
自分の人生をポジティブに作用させる、貴重な一歩を踏み出せたようです。
不登校の子を持つ親へ
※今回の記事は私の心の内を吐露するものです。 暗い話もありますので、苦手な方は注意してください。
私は小学生のころ、一時期、不登校になったことがありました。
原因は、親の愛情不足や、仲のよかった兄弟が進学のために家を出ることになったこと、クラスメイトの転校などが重なり、今までの寂しさが爆発したんだと思います。
そのころの記憶は曖昧ですが、ずっと覚えていることがあります。
それは、母親が私を抱きしめて「ごめんね」と言ったときの情景と、午前で早退する日々を送っていたときに、学校からの帰り道、母がお昼ご飯に何を食べたいか聞いてきて、私が食べたいと言ったものを用意してくれたこと。 その食材がなかったときでも、お店に行って買って用意してくれました。 今ほどスーパーが充実していない時代と地域でしたから、本当にわざわざ私のために、行ってくれていました。
これまでの人生のなかで、自分のことを諦め切らずにこれなのは、この思い出があったからといっても過言ではありません。
人間関係で悩むことは多いし、トラブルもあります。 でも苦手なりに、人を好きになり、人に期待し、人がしてくれたことに感謝することができています。
あのとき、母は自分の間違いを認め、そんな親の間違いを私も認めることが出来ました。
親=社会です。
社会の間違いを認めることは、人や自分の間違いを認めること。
だから、私は、失敗から立ち直ることができています。
もし自分の子どもが、不登校だったり、心を閉ざしてしまったりしていたら、一度でいいので、抱きしめて謝って欲しい。
そのとき子どもは何も反応しないかもしれない。 私もそうだったと思います。 でも実際はちゃんと伝わっています。
それが今になって、親だって間違うこともあるし、それをちゃんと許すことができたという自信になっています。
あとはわがままを聞いてほしい。わがままを言えない状態だったら、私のように食べたいものを聞くとかでも何でもいい。 これは今までの寂しさを埋めている作業だから、数ヶ月なり半年なり満足するまで続けて欲しい。
私はあの日、毎日のように食べていた食材を、今でも食べるたびに、あの日食べたもの以上に美味しいものはないと、甘美な思い出のように振り返ることができています。
不登校児童への対応に関する書籍はたくさんあると思います。 実際、家にもそういう本がたくさんあったので、母親もそういう本から知識を得ていたはずです。
実体験として、それらは本当に大切なことだから、不登校児童を持つ親後さんにはぜひお願いしたい。
不登校も含め、数十年さきに、あの体験があって良かったと思えるようになりますから。
一生お金に困らない生き方ー母親に「クソババア」と3回言ってみる。
自営業の我が家。将来のことで不安になることもある。そんなときに読んだ本の一冊。
「一生お金に困らない生き方」
心屋仁之助 著
PHP研究所 発行
お金持ちになるための精神論が書かれていて、不安になった時にパラパラめくって読むと、前向きな気持ちになれます。
お金を引き寄せる人の考え方が紹介されているのですが、その中の1つに、お金が欲しいと言っている人は、実はお金を受けとっていない、という話があります。
要約すると、お金を受け取る価値が自分にはないという考え方、貧乏な人の心のクセがある。
そしてその心のクセ、お金に対する価値観、大前提は、家族により形成されている。
大前提を壊すことは、握りしめていた過去の出来事を手放すこと、それは過去の自分を許すこと。
「『あなたは愛されているんだよ。過去も、今も、これからも、ずっと』
自分を許してやることで、心のクセ、かたよりが修正されます。握りしめていた「大前提」が崩れるのです。」
不安になるとき、それはお金のことに関しても、家族の、というより親の影響はやはり大きいんですね。
母は、お金を使わない自慢をよく私にした人でした。これはセールで安く買ったものだ、とか、貰ったものだとか。
私が夫と結婚するときも、最初に言ったのが「貯金はしておきなさい」でした。
今思えば、それも私を苦しめていたんですね。
貯金=正義でした。
それが悪いとは言いません。問題は私がそれに苦しんでいるという事実。
夫はその点、必要なもの、好きなものにはどんどんお金を使う。使ってはいるが、その分稼いでいるので、お金に関して不安を口にしたことがない。
そんな夫の様子をみて不安になるのは、いつも私。
現在、贅沢はできないがお金には困っていない。なのに、いつも私は不安。貯金がいくら溜まっても不安は消えないと思う。過去より貯金は増えているのに、過去も今も不安だから。
本書ではこうも言っている。
反抗期をきちんとやれなかった人は、いつまでも親の目を気にしている。親の作ったルール下に置かれているので、お金に対してもネガティヴ。
そんな人が罪悪感から解放されて、親の支配下から自由になる方法は2つ。
1つ、「母親は幸せだった」と言ってみる。
2つ、母親に「クソババア」と3回言ってみる。
面と向かってじゃなくても、いいそうです。
実は私、母親からの電話の後に「クソババア」って言ったことがあります。でもそのあとの罪悪感といったら・・・。
今思えば、それでよかったんですね。自分の道を行き出そうとしていた証拠だから。
私は愛されてる。過去も、今も、これからもずっと。母親も幸せだった。仮に不幸だったとしても、私の存在は関係ないんだよ、クソババア、クソババア、クソババア!
これから毎日つぶやきます(笑)
眠くなければ寝なきゃいいじゃない。
子供は9時に寝るもの、そう学校で教えられていたから、真面目だった私は、いつもそれを守っていた。
何だか寝付けない日があった。寝付けないことに不安でドキドキもした。
寝室の横の部屋で、机に向かって何か作業をしていた母に、「眠れない」と訴えた。
母は私に目を向けることもなく、 「眠くなきゃ寝なきゃいいじゃない」と言った。
ずっと記憶の中で留まって、母親への負の感情を掻き立てる。
娘をダメにする魔の母親遺伝子
サンドラ・リシャース著
娘をダメにする魔の母親遺伝子 Oh, No! I've Become My Mother
- 作者: サンドラ・リシャース,大野晶子
- 出版社/メーカー: 講談社インターナショナル
- 発売日: 2005/11/19
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 5回
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本書の中でこんな一節がある。
「わたしはとても多感な子どもだった。母にアンデルセンの『赤い靴』を読んでもらったとき、その悲しいストーリーに思わず泣いてしまったことがある。ところがわたしほど多感ではなかった母は、そんなわたしを笑い飛ばし、こんなのたんなるお話でしょ、泣くのはやめなさい、と言い放った。あのとき母が、どうしたの、なにがそんなに悲しいの、と尋ねてくれていれば、どんなにすばらしかったろう、わたしはもっと違う人間に成長していたのでは、と思わずにはいられない。…」
著者は、祖母が仕事をしながら7人の子どもを育てたような人だから、子どもの気持ちを思いやるだけの時間もエネルギーも持ち合わせていなかっただろう。そんな祖母に育てられた母はその方法しか知らないのだ、と語る。
母親のしてくれたことには感謝しているが、もし母親を選ぶことができたら、気性にあった母親を選んだだろうとも。
私の気持ちを全て代弁してくれているようだった。ここまではっきりと言ってよかったのかと。
「眠れないなら眠くなるまでお話しようか?」
そう言ってほしかった。
「母親は神聖という原則を捨て去る」
母も所詮、ただの人だ。 完璧な人などいない。
罪悪感は自分が自分の人生を生き始めた証である
「私は私。母は母。」
著者 加藤伊都子
発行所 株式会社すばる舎
実際の母娘の葛藤エピソードを紹介しながら、母から解放され、自分の幸せをつかむための具体的な方法を紹介している本書。
「罪悪感は自分が自分の人生を行き始めた証である」
その中で心を打たれた一節。
母親から解放されるには、自分が変わらなければいけない。そのためには母親に反抗することが必要なのだが、その時に娘を苦しめるのが罪悪感。
私も自分の母親が嫌いだと打ち明けられるようになったのは、つい最近のこと。 今でも抵抗がある。 大事に育ててくれたのは間違いないだろうし、そんな母親を否定していいものかと。
本書では、「罪悪感は、これまで母の意に沿う行動をしてきた自分が、母の意ではなく、自分の意に沿って行動していることのサインである。…罪悪感は自分が自分の人生を生き始めた証であることを知れば、その苦しさも少しはラクになる。罪悪感をねじ伏せながら行動しているうちに、罪悪感は薄らいでくる。…」と言っている。
罪悪感を感じることは、自分が本来の自分を取り戻し、生き始めた証拠。 罪悪感を感じることに躊躇ってはならない。
そう思えたら、すごくラクになった。
本書の後半では、母になった娘が抱く子育ての不安についても書かれていた。母娘葛藤の連鎖を打ち切るヒントも。
参考にしなくてもいい子育てが出来ればいいなと思う。
でも、必要と感じたら…。 本の存在を知れただけでも安心感が違う。
母親の記憶
※今回の記事は私の心の内を吐露するものです。 暗い話もありますので、苦手な方は注意してください。
母親のことが大好きだった。
保育士の資格を持つ母は、子どもが大好き。 お年寄りや弱者に優しい、社交性のある人だった。
一番年の近い兄弟が病気がちだったから、小さい頃から一緒に病院へ行っていた思い出がある。
私がしっかりしなければ、という思いが強かった。 兄より出来なければ、という思いも強くて、勉強も頑張ったと思う。
小学生の頃、学校に行けなくなった。 いじめがあったとかではなく、年の離れた兄弟が家を出ることになった寂しさや、クラスの友達が転校することになったりで、不安になったんだと思う。
私は2、3日の記憶だったが、数ヶ月は午前中で早退するような生活だったらしい。
その辺りの記憶は曖昧だ。 人間よくできているなと思う。
母のことを考えると、いつもこの年の近い兄弟の存在が付いて回る。 病気だからしょうがないと自分に言い聞かせているが、子供ながらに気を使っていたのはしっかり覚えている。
私に子どもが産まれてすぐ、その兄弟のところにも子供が産まれた。
年の離れた兄が私に、「贔屓されて大変だね」というようなことを何の気なしに言った。
その時に初めて、周りからみてもやっぱり贔屓だったのか、とショックを覚えた。
違う、病気だからしょうがないと言い聞かせて、保っていた私の平静のダムが一気に崩壊した。
そこから、少しずつ母と距離を置くようになった。 もともと遠方に住んでいるので、頻繁に会ったりはしていなかったが、心の中で、母を頼らなくなった。
今では母に連絡するのは、子供のおばあちゃんとしてだけだ。
夫には、母親が嫌いだと言っている。
悪い人では無いと思う。 弱者に対しては心底優しいんだろう。 でも弱者じゃ無い人には?
会社が倒産する時、資金集めに私の大学の授業料が当てられそうになったことがあったと、酷い父親だとでもいいたいように母から聞いたことがあった。
離婚後、兄弟と生活をするようになった母親は貯金はあるから大丈夫という。
私達の生活のために働いていた父親が、お金に困って、授業料をそれに当てようとした。 専業主婦だった母には貯金が沢山あった。 その貯金は働いた父から得たものではなかった?
久しぶりに遠方から帰省した私の前で、別の孫にお小遣いを渡す母。
私の子供にはなかった。
一度メッキが剥がれると、あれもあれもと出てくる不思議…。
兄弟曰く、母も病気。
年をとれば誰でもありそうなこと。母が特別じゃ無いと思う。
が、イライラと贔屓だけは、わたしは子供にはしないと誓う。
母が嫌いだ。